テクノ(英: Techno)とは、アメリカのミシガン州デトロイトを発祥とするエレクトロニック・ダンス・ミュージックである。
また別の概念として、1978年から1980年初期の日本国内において、主に海外や国内のシンセサイザーを取り入れた音楽全般、特にニュー・ウェーヴとクラフトワークに代表されるシンセ・ポップもしくはエレクトロ・ポップ、ヨーロッパの前衛音楽であったプログレッシブ・ロックの一部から現代音楽的な電子音楽そのもの、またはドイツやイタリアのユーロディスコといったディスコ音楽など、多岐にわたる音楽ジャンルを「テクノポップ」、ないしはその省略形として「テクノ」とまとめて呼ぶムーブメントがあった[1]。それら「いわゆるテクノ」については別項テクノ・ポップを参照すること。
[編集] 黎明期
1980年初頭、アメリカのシカゴでは、その大半がゲイの黒人で占められるクラブにおいてDJによるダンスミュージックのさまざまな実験的DJプレイが試されていた[2][3](ハウス・ミュージックを参照)。そのような中、それまでのダンスミュージックの歴史にはみられなかった画期的な出来事が起こっていた。音楽作成の素人であるDJや、作曲の知識がなく楽器の演奏もできないクラブ通いの少年たちがDIYでレコードを作り始めたのだった[4][5]。それは当時DJプレイでも使われていたドラムマシンの単調な反復のビートの上に、彼らの好きなレコードからベースラインやメロディを持ってきて組み合わせるという非常に稚拙なつくりではあったが[6]、シカゴのDJたちはこぞってそれらのレコードを採用した。こうしたいわゆる「シカゴ・ハウス」や、そのサブジャンルであり偶然に生まれた「アシッド・ハウス」によるムーブメントが当時の地元シカゴでは隆盛を極めていた[7][8]。
1980年代前半から中盤にかけ、シカゴに隣接する都市であり、同じく黒人音楽の伝統を持つデトロイトでもシカゴとデトロイトを行き来する人々によりこのシカゴ・ハウスが持ち込まれ、新しい音楽の運動が生まれてくる[9][10]。この音楽成立に関わった主なアーティストとしては、同じ学校に通っていた音楽仲間でありDJ集団も組んでいたホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケヴィン・サンダーソンらの、いわゆる「ビルヴィレ・スリー」(3人の出会った場所が地元デトロイトのビルヴィレ地区であったため名づけられた)が挙げられる。彼らの音楽はシカゴ・ハウスの影響を受けつつも、従来のハウス・ミュージックが持つ享楽性に対し厳しい現実を反映したシリアスな音楽を志向し[11]、音楽雑誌の取材時にはより政治的・思想的な側面を打ち出していた。特に第1人者であるホアン・アトキンスはその時すでにエレクトロのユニットの活動を通して一定の名声を得ており、テクノの上においてもエレクトロの根底に通じる電子的な音のギミックやファンクのベースラインを、思想として黒人特有のSF・未来志向を強調していた[12]。(アフロ・フューチャリズム)
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