2012年4月21日土曜日

TOKYO CITY MAN


1996年、多分3月、
私には何の「契約」もなかった
名実ともに「自由な男」。

この街では
終わらないうちに何かが始まり
始まらないうちに全てが終わっていた
それが人呼んで「経験」というもので
私は間抜けなロマンチストに過ぎなかった

しかし「精神の砂漠」のような街に暮らしていると
皮膚の下に沸騰してくる何かがある
多分それは血の苛立ちのようなもので
次第に身体の中に蓄積されていったのだ

ある男は私に向かってこう云い放った
「なんでも財布にしまっておきな 吐き出すと損するだけだぜ」
契約に保険、怒り、笑い、喜び、哀しみ。
奴が奴のビルの中に 私が掃きだめの中にいるとしても
私には書かずにいられない何かがあった
悪いがその位のプライドは「財布」の中に持ちあわせてる


どのように私は霊を運ぶん

私はある種の賭けに勝ちたくなった モーレツに
私には何かがあるはずだ そして実際あったのだ
暗い時に眼を輝かし
湿ったマッチで火を起こす方法
そしてハードディスク一杯の歌詞に
私のマシンガン エレクトリックギター

私は肉体として存在したい
精神としてこの街に存在したい
この沸騰する血は本物なのか?
それを私は確かめたい

モーレツに行こうじゃないか
死んだ偉人のものではなく
生きている今のボヘミアンの言葉を聴くために

やりたいことをやるだけだ

(当時のパンフレットより)

 

 「1995」は満足のいく仕上がりだったが、セールスは思った程伸びなかった。レコード会社のスタッフも頑張ってくれたのだが、「資本主義」は云うまでもなく売れてナンボの世界である。売れないものに金を使う訳にはいかない。我々はクビを宣告された。


苦痛と快楽

 しばらく考えた後、俺は事務所も辞めることにした。事務所にしてみれば、金を稼げないミュージシャンはただの人に過ぎないわけだし、何の組織にも属さないところから自分の音楽への情熱を再確認してみたいと云う思いもあった。不思議と悲壮感はなかった。もともとミュージシャンなんて一匹狼なのだ。レコード会社がなくてもファンはいるし、歌いたいことは山程ある。

 俺はもう一度人間関係を再構築してみることにした。

 フリーになってわずか3日後、夜中に何かが閃いた。すぐさまコンピューターに向かって2時間の間、キーを叩き続けた。その歌は記憶が正しければ30番まである歌で、歌い終えるまでに15分はかかるものだった。とあるシンガーが、俺宛に書いた(と勝手に思い込んでいる)歌への返信のつもりだった。その曲の名は「ミスターソングライター」と云う。書き上げた時、気分が高揚したのを覚えている。部屋の中を雄叫びをあげて走り廻った。

 ミュージシャンの財産は金ではない。少なくとも俺にとっては。曲であり歌だ。俺は何処の組織にも属していなかったが、天下無敵と云う気分だった。


どのように私は感じるように仮定しています

 俺には信用出来る人間がこのクソッタレな音楽業界に何人か居た。早速俺はその歌を抱えて、ファイブ・ディーのS氏を訪ねた。彼はふたつ返事でマネージメントを引き受けてくれた。

 レコード会社はポリドールに決まった。これでまたレコードを出すことが出来る。ポリドールに決めたのは、担当のディレクターの目の中にある光が好きだったからだ。

 こうして曲創りは始まった。

 今となってはどうやって曲を書いたのか想い出すことが出来ない。ただ何かに衝かれたように書きまくっていたのだろう。気が付くと、「トーキョー」と云う名の付く曲が沢山あった。きっと自分自身が抗っている対象を確認したかったのだろう。

 同じ頃、ルー・リードがアルバムをリリースした。その中に「NEW YORK CITY MAN」なる曲があったのだが、彼に「おまえはTOKYO CITY MANと言い切れるのか?」 と聞かれている気がしたのだ。憧れたって仕方がない。俺は俺で、彼は彼で他人は他人に過ぎない。人間は誰しもがひとりだ。それをわきまえた上で生まれてくる愛情や人間関係と云うものがある。それを描きたかった。


 レコーディングはS氏をプロデューサーとして、モーガンの豊富な引きだし、伴ちゃんの歌うドラムを中心に進められた。終った時、猛烈に充実感があった。俺としては冗談をテンコ盛りにしていたつもりだったが、今聴き返してみると、全然笑えない。余裕がなかったのだろう。客観性を失っていたのだろう。けれど、ここで俺は何かを得た。自分が音楽を愛していることを確認できた。それでいいのだ。

 ジャケットは横尾忠則さんが描いてくれた。ミックスはヴァン・モリスンのエンジニアであるミック・グロソップ氏が担当した。夢のような組み合わせだった。



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